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第8話 ソレがワタシのやり方さ

last update publish date: 2026-07-02 18:29:04

 あれからどれくらい時間が経っただろう。

 俺は死んだのか?

 いや。あんな状況だ。死んでいないとおかしい。

 息が苦しい。胸の上に何かが乗っている。

 喉が詰まる。口の中が妙にしょっぱい。

「んぐっ――⁉」

 何かが、さらに口の中へ押し込まれた。

 硬い。しかもしょっぱい。

 噛み切れない。飲み込めない。

「む、むぐっ……⁉」

 慌てて目を開ける。

 ぼやけた視界の向こうで、銀色の髪が揺れていた。

「……起きた」

 ミリスだった。

 何故か俺の胸の上に跨がった状態で、真顔のまま保存食を握っている。

「ちょ、待っ……おま、何して――ッ⁉」

「クラド、死にそうだったから」

「だからって、口に保存食を詰め込むなッ‼」

 咳き込みながら身体を起こす。

 途端に、全身に鈍い痛みが走った。

「っぁ……!」

 肋が痛い。頭も割れそうだ。口の中は、保存食のせいでよく分からない。

 それでも、生きている。

 少なくとも、痛覚があるうちはまだ現世側だ。

「……よかった」

 ミリスが小さく息を吐いた。

 その顔を見て、ようやく理解した。

 ――俺たち、本当に生き残ったんだ。と。

 ゆっくり後ろを振り返ると、グラン・モルドが目を見開いたまま倒れていた。

 今にもまた動き出しそうな迫力がある。

 黑鉄くろがねの外殻は裂け、巨体のあちこちに星涙石せいるいせきの破片が突き刺さっている。

 額の赤い結晶も、もう光っていなかった。

「……マジかよ」

 思わず声が漏れる。

 倒したんだ。あの化け物を。

 俺とミリス、たった二人で。

 ——なのに、まるで現実味が無かった。

 勝ったというよりも、死に損ねた感覚の方が近い。

 もしも、あと一歩でもズレていたら。

 星涙石せいるいせきに気付くのが少し遅れていたら。

 ミリスの力が限界を迎える方が先だったら。

 多分今頃、俺達は揃って潰されていた。

「……ん」

 不意に、ミリスが俺の袖を引っ張った。

「クラド。これ」

 差し出されたのは、最初に採掘した星涙石せいるいせきだった。

 蒼白い結晶は、薄暗い洞窟の中でも静かに光を放っている。

「あ……」

 そうだ。元々の目的は、これを持ち帰ることだった。

 ただ――。恐る恐る結晶の方を向く。

 他の星涙石せいるいせきはほとんど原形を留めていなかった。

 爆発だの何だので、洞窟中に破片が散っている。

「……やっちまったな」

 思わず乾いた笑みが漏れた。

 小粒になった今でも、ひと欠片で普通の一軒家と同等の価値がある。

 それが今や、足の踏み場もないくらい転がっている。

 しかもそのほとんどが、ガラス片みたいに砕け散っていた。

 こんな傷だらけじゃ、まともな加工品にはならない。

 商会の連中が見たら、その場で泡吹いて倒れそうだ。

 仕方なかった。これしか方法が思いつかなかったのだから。

 そう正当化しようにも、冷静に考えると頭がおかしい。

「……どうしよう、これ」

「ヴェルカ、絶対怒る」

 彼女のことだ。笑いながら酒瓶を投げつけて来るだろう。

 それか雇われの(というか買われた)身だ。一生タダ働きの終身奴隷コースか。

 奴隷を買った俺が、今度は奴隷になるのか。

「……笑えねえ」

 ミリスはそんな俺を見ながら、小さく首を傾げた。

「クラド、奴隷になるの?」

「なりたくねえよ……」

 即答すると、ミリスがほんの少しだけ口元を緩めた。

 そのまま俺たちは、揃って岸壁に背中を預けた。

 もう立っている気力すら残っていなかった。

 全身が痛い。特に頭が酷い。

【価格操作プライス・カスタム】を短時間で連発した反動だろう。

 頭蓋の内側を、鈍器でゆっくり掻き回されているようだ。

「……帰ったら、三日は寝よ」

「ミリスは、ご飯食べる」

「さっきまで保存食食ってたろうが」

「あれはノーカウント」

「なんだその理論は」

 思わず笑いそうになった。

 笑った瞬間に肋に激痛が走って、結局顔をしかめる羽目になったが。

 それでも、ほんの少しだけ。生きて帰れる気がしていた。

 グラン・モルドは動かない。

 目的の星涙石せいるいせきも確保した。

 ボロボロだが、俺もミリスも生きている。

 ならば後は、洞窟を出るだけだ。

 と、その時だった。

 ――ゴゴゴゴゴゴ……!

 腹の底を鳴らすような轟音が鳴り響いた。

「……えっ?」

 直後、洞窟全体が大きく揺れた。

 天井から、砂と小石が降り注ぐ。

 嫌な音がした。岩盤が軋み、どこかで何かが崩れ落ちる音がする。

「お、おい……待て待て待て――」

 冗談だろ? グラン・モルドとの戦いで、洞窟そのものが限界を迎えたのか?

 視線の先で、大きな亀裂が壁を走る。

「ミリス、逃げるぞ!」

「……うん」

 ミリスも壁に手をつきながら立ち上がろうとする。

 だが次の瞬間。

 ――ズガァァァン‼

 爆音と共に、俺たちが入ってきた坑道が崩れ落ちた。

 土煙が一気に噴き上がる。

「……っ!」

 言葉が止まる。

 落ちてきた岩盤が、通路を完全に押し潰していた。

 隙間すらない。逃げ道が消えた。

 ――いや、違う。

 グラン・モルドが塞いでいた時点で、とっくに逃げ場なんて無かったんだ。

 ただ、戦っている間は考えないようにしていただけで。

 洞窟の揺れは止まらない。

 むしろ、どんどん激しくなっていく。

 天井に走った亀裂が蜘蛛の巣のように広がり、岩塊が次々と降り注いだ。

 ――ドゴォン!

 すぐ横に巨岩が落下する。衝撃で地面が跳ねた。

「っ、ぐ……!」

 膝が崩れる。もう脚に力が入らない。

 無理矢理立ち上がった反動で、全身の痛みが一気にぶり返してきた。

 ミリスもその場に座り込んでいる。

 肩で息をしていた。

「クラド……出口、ない」

「……見りゃ分かる」

 そう返した声に、自分でも驚くほど力が無かった。

 視線を巡らせる。

 崩れた岩壁。落ち続ける天井。塞がれた坑道。

 どこにも道なんて無い。

 逃げる場所が、本当に無かった。

 また大きく揺れる。

 頭上から、嫌な音が響いた。

 もう長く持たない。

 終わった。本気でそう思った、その時だった。

「アンタ達、なかなかやるじゃないの」

 崩落音の向こうから、妙に呑気な女の声が響いた。

 ミリスの声じゃあない。もっと軽薄で、とてもこの場所に似つかわしくない声音。

 すると、瞬きをしたのとほぼ同時だった。

「しょうがねえから、力を貸してやるよ」

 突如、天井から降りてきた影がニヤリと笑った。

 赤い髪。見慣れた酒瓶。そして、呆れるほど場違いな笑み。

「ヴェルカさん……! どうして……!」

「言ったろ。助けないけど、力は貸すってさ」

 軽口を叩きながら、ヴェルカは崩落した出口へ視線を向けた。

 数十トンはありそうな岩盤が、完全に通路を塞いでいた。

 なのに彼女は、困った様子すら見せない。

「ま、“ツ・ケ・”ときな」

 次の瞬間、ヴェルカが一歩踏み込んだ。

 ふらついた足取り。酔っ払いのような、力の抜けた動き。

 ――それなのに。

 岩盤に触れた瞬間、

「――破っ」

 巨大な岩壁が派手に弾け飛んだ。

「……なんだよ……それ……」

「嘘……」

 意味が分からない。

 剣も魔法も使っていない。

 ただ掌を押し当てただけだ。

 ただそれだけで、岩盤そのものが砕け散った。

 しかもヴェルカ本人は、軽く肩を回しているだけだった。

 息一つ乱れていない。

 まるで今の一撃が、軽いジャブ程度だったとでも言うように。

「ほら、ボサっとしてると今度こそ潰れるよ」

 呆然とする間もなく、ヴェルカが俺の腕を乱暴に引っ張ってきた。

「うわっ――」

「ミリス。アンタも来な」

 言いながらミリスの腕を引いて、俺たちを両脇に抱え込んだ。

 ひょいっ、と。驚くくらい軽々しく。

「軽いなあお前ら。まるで干物だなぁ」

「誰が干物だ!」

「クラド、保存食いっぱい食べたのに」

「余計なお世話だ!」

 そんな馬鹿みたいなやり取りをしている間にも、ヴェルカは瓦礫の中を駆け抜けていく。

 後ろでは、グラン・モルドの亡骸ごと坑道が崩れ落ちていく。

 轟音。土煙。崩壊。

 その光景は、まるで洞窟そのものが、役目を終えて眠りにつくようだった。

 ***

 馬車に戻った頃には、もう夜になっていた。

 俺とミリスは荷台へ転がされ、そのままヴェルカ特製の薬を飲まされた。

「ッッッッにがァ⁉」

 あまりの苦さに、思わず飛び起きる。

 なんだこれ。薬っていうか、腐った雑草を煮詰めた汁じゃないか。

「良薬は口に苦し、ってね」

 ヴェルカはケラケラ笑いながら酒を呷る。

 絶対楽しんでやがる、コイツ。

 隣ではミリスも無表情で固まっていた。

「……舌が死んだ」

「お前でもそういう顔するんだな……」

 けれど、薬の効果自体は本物だった。

 さっきまで肺を抉っていたような痛みが、少しずつ和らいでいく。

 骨の軋みも、頭痛も、ほんの少しだけマシになっていた。

 だからこそ。ようやく言いたいことが込み上げてくる。

「……いや待て」

 俺はゆっくりヴェルカを指差した。

「なんであんな所に行かせたんだよ」

「死ぬかと思った」

 ミリスも真顔で頷く。

「いやぁ、でも生きてるじゃない」

「結果論だろうが!」

 思わず怒鳴る。

 本当に死ぬところだったんだ。

 ヴェルカはそんな俺達を見ながら、酒瓶を揺らした。

「じゃあ逆に聞くけどさ」

 赤い瞳が、細められる。

「死地に飛び込んでみた感想は?」

「は?」

「だから感想だって。アンタ達、あの洞窟で何を見た?」

 意味が分からなかった。

 だが、ヴェルカは冗談を言っている顔じゃない。

 俺は少しだけ考えてから、ゆっくり口を開く。

「……価値って、最初から決まってるモノじゃないのかもな」

 ぽつりと呟く。

 今までの俺は、ずっと値札で世界を見ていた。

 高い物は凄い。安い物は価値がない。

 それが当たり前だと思っていた。

 でも違った。

 ただの石ころでも、使い方次第で怪物を殺せる。

 保存食だって、人を生かせる。

 折りたたみシャベルですら、命を切り開ける。

 だったら――。

「俺達も、同じだったんだな」

 自然と、そんな言葉が零れていた。

「商会じゃ役立たず扱いで、ミリスなんてタダ同然だった」

 苦笑が漏れる。

「なのに、今はこうして生き残ってる」

 ミリスが静かにこちらを見る。

 銀色の瞳が、少しだけ揺れていた。

「……値札なんて、当てにならないんだな」

 その瞬間。ヴェルカが、小さく口元を吊り上げた。

「ふふぅん、なるほどねぇ」

 ヴェルカは空になった酒瓶を置いて、肩を竦めた。

「そうさ。行商人ってのは、ただ物を見るだけの仕事じゃないんだよ」

「……?」

「人を見るのさ」

 夜風が荷台を揺らす。

 馬車の車輪が、静かな音を鳴らしながら街道を進んでいく。

「ガラクタ同然の品でも、“欲しい”って奴が現れた瞬間、宝になる。逆に、どれだけ高価なモンでも、誰も欲しがらなきゃただの置物だ」

「そんな曖昧な……」

「だから面白いんじゃあないか」

 その横顔は、いつもの酔っ払いとは少し違って見えた。

「アンタらの戦い方だって、そうじゃあないの?」

「……は?」

 今、なんて言った?

 俺とミリスは互いに顔を見合わせ、一緒にヴェルカの方を向いた。

「いやあ、まさか本当に勝つとは思わなかったけど」

 ヴェルカはぐいっと新しく開けた酒を呷り、あっけらかんと言い放った。

「……見てたのか?」

「見てたよ?」

「俺たちの戦いを?」

「うん」

 軽い。あまりにも軽すぎる。

「いやいやいやいや⁉」

 思わず立ち上がりかけて、脇腹に激痛が走った。

「痛ツぁ――ッ!」

「クラド、落ち着いて」

「落ち着けるか! 俺ら死にかけたんだぞ⁉ それをアンタ!」

「そう怒るなって。勝ったんだし、万々歳だろ?」

「だから結果論だろうがそれは!」

 俺の怒りなど気にも留めず、ヴェルカはケラケラと笑う。

 全くもって悪びれる様子がない。

「じゃあ、何で助けなかったんだよ」

 せめてこれだけでも。そう思って問うた。

 その問いに、ヴェルカは少しだけ目を細めて答えた。

「それこそ、“価値”を信じたからさ」

「価値だって?」

「アンタたちなら勝てるってね。そう賭ける価値があると思った」

 本当に、調子のいい人だ。

 助けないとか言っておきながら、結局最後に助けに来てくれた。

 しかも、俺たちが死ぬ寸前まで見守っていたらしい。

 普通なら怒鳴り散らしたいところだ。実際、かなり腹は立っている。

 ――なのに。

 不思議と、文句だけでは終われない。

 ガザルム坑道で見せた、意味不明な一撃。

 飄々とした態度の奥にある、“何か”。

 この人は、多分——。

 そんなヴェルカが、不意に俺の左手へと視線を落とした。

「……ところでクラド。その指輪、どこで手に入れた?」

「指輪?」

 言われて、自分の手を見た。

 商会にいた頃、倉庫整理中に偶然見つけた古びた指輪だ。

 装飾も少ない、地味な代物。なのに――。

 《???:9,999,148,000G》

【価格表示】で見ても、それしか出ない。

 名前も分からない。価値だけが異常に高い。

「……商会で拾ったやつですけど、何か?」

 ヴェルカは酒瓶を揺らしながら、じっと指輪を見つめる。

 その瞬間だった。

 初めて彼女の表情から、余裕が消えた。

 本当に、一瞬だけ。けれど確かに、目の色が変わった。

「……ヴェルカさん?」

「いやぁ?」

 だが次の瞬間には、いつもの軽薄そうな笑みに戻っている。

 誤魔化された。

 自分を落ち着かせるように更に酒を入れつつ、彼女は言葉を紡いだ。

「ソイツ……もし、その指輪が“本物”なら――」

 ヴェルカは夜空を見上げながら、静かに俺たちを見据えた。

「そのうち世界そのものが、ソレを奪いに来るよ」

 意味が分からなかった。

 世界が奪いに来る?

 指輪一つで?

「……ま、アタシも詳しくは知らないんだけどね」

 ヴェルカは肩を竦める。

 だが、その目だけは笑っていなかった。

「だから、今の内に強くなっときな。師匠として、アンタらを守るくらいはしてやる」

 軽い口調だった。

 けれどその言葉には、不思議な重みがあった。

 馬車が夜道を進んでいく。

 その揺れの中で、俺はもう一度だけ指輪を見つめた。

 鈍い銀色の表面には、見たこともない紋章が刻まれている。

 まるで――何かを待ち続けているように。

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